第3部(1)

第3部
その1    
堕天使たちの降臨


この日のスターティングメンバーを見て驚かない人間はいなかっただろう。
電光掲示板にずらっと並んだラインナップ。ファンだとて全員の顔と名前が一致する者はそう多くはないと思って
間違いない。

このチームが若い選手を育てることに重きを置くチームだということを球界関係者は知っている。
マスコミも知っている。
そしてファンが一番よく知っている。知っているだけでなく今が世代交代の時期だ、監督、若手を使ってくれと集まればその話でいつも盛り上がる。
それなら、今日のラインナップは、酒の席でにわか評論家に、にわか監督になるファンとしてはこたえられないものかもしれない。
しかしそれでも、いったい監督はなにを考えているんだ?

未完の大器や原石が今この晴れ舞台に上がっている。しかもすべてのポジションを占領して。


2軍の選手はついこのあいだまで山のてっぺんの球場で熱い日差しに炙られながら多いとは言えない観客を前にプレーしていた。
いつもなら監督にコーチに力を認められた選手が、よ~し、上で思いっきりやってこいと尻を叩かれ送り出される。
しかし上に上がれば先輩たちがそう易々とオマエにオレのポジションを奪われてたまるかと力の格差をみせつける。
結果を出すことができず、いや、それ以前にチャンスさえ与えられることなくまた下に降りてゆく。
それがこの世界の常だ。
だからこそ、今日のスタメン9人全員がつい昨日まで山のてっぺんで高校球児のように汗を流していた選手だったことに、つめかけたファンは驚くというよりむしろ呆れ返っていたのだった。
奇襲というにも常識を外れすぎているこの起用。それ以前にこのチームの監督の気質としてこんな大胆な発想が生まれるとは信じられない。かたくなに実績にこだわる、時にファンも焦れる堅実さが信条の男なのだ。
監督はいったい何を考えてるんだ?
いや、そもそも監督はどこにいる?
1軍と2軍の選手総とっかえという異常な事態に当然のごとく、マスコミは監督の考えを聞き出そうとしたが、「急病」を理由に結局姿を現すことはなかった。
地元の新聞社に論客がいる。黙ってはおるまい。当然監督のもとにかけつけたはずだ。
だが、彼も姿を消していた。
代わりにデスクにいたのは今年入社したばかりの新人だった。
「あいつはどうしたんだ?」
キャップは少しイヤな予感を感じつつ新人に聞いた。
この新入りははおっちょこちょいで先走るヘキがある。やる気はわかるが加速しすぎて空回りしている。今時珍しい「熱血タイプ」だ。
「風邪をひいたそうですよ」
しかし若者は特にこれといった感情もみせずそう答えた。
「風邪ぐらいで休むか?アイツが」
キャップは笑い飛ばそうとしたがなぜか顔はひきつっただけだった。
抑揚のない声。少しけだるそうな態度。なにがネッケツだ。どうしたんだ。
しかし新入りはこの年輩の上司の動揺さえ無視した。
背中に悪寒が走るような気がして上司はうろたえた。
なんだコイツ。
今日は妙に落ち着いている。いつも浅黒く健康的な顔の色も今日はなぜか青白い。
それよりももっと気になるのはコイツのまわりに漂っているこの「冷気」だ。
ほんとにコイツはオレの知っている男なのか。。

「タミオ」
と上司は呼びかけた。
「なんです?」
キーを叩いていた新人は振り返った。
その時の目。
思わず上司は一歩後ろに下がった。
イマイッシュンアカクナカッタカ。
赤く、、
なかったか。
赤く、
光らなかったか。
いや見間違いだ、そんなことがあるはずはない。
タミオは立ち上がり混乱する上司の顔に近づいていく。息がかかるほどその顔が近づく。その目。
「今日からオレがスポーツ担当ですから」
タミオはそう言うと微笑んだ。
上司の顔から血の気が引く音が聞こえたようでタミオはほんの少し、声をたてて笑った。


                 ☆


あの日テツトが求めてきたときオレは抵抗しなかった。
必然だ、と思った。
だが驚いたことに当のテツトはオレを「仲間」に加えることに少し躊躇した。
「人間の喉に食らいつかなくてもいい状態でオレたちのこと理解できるか?」
彼はそう聞いてきた。
できる。
だって今がその食らいつかなくてもいい状態なんだ。まだオレは人間だ。
オレはテツトたちの不安と絶望と恐怖を知っている。
生まれたてのこころもとない鬼たち。怯えている鬼たち。
「できれば今のままで居て欲しい」
テツトはぽつりと言った。
「最初はオレだった。オレが元凶だ。タカヤ、マサフミ、ケンタ、それから、この4人であとのヤツら全員を仲間に加えた」
「みんな異形のものになっってしまった。今でも信じられない」
彼らをどうしよう。テツトは責任を感じていた。
こんなものになってこれからどう生きていくんだ。
「キミたちが球場で走りまわる姿を見たい」
オレがそう言うとテツトははっと顔をあげた。思い出したか?
思い出したかテツト、自分の生きていく道が。
子供のときから白球を握っていた、中学、高校とひとつのたったひとつの夢だけを追いかけてきたんじゃないのか。
そして今プロの世界にいる。どうやって生きていくって?決まってるじゃないか。
オマエはあのマウンドに立つんだ。カクテル光線の真中に、たくさんの観客の声援を背に受けて。
「できるだろうか」
テツトの声はまだか細い。
「できるさ」
オレはテツトの肩に手をかけ彼の耳元にくちびるを近づけ囁いた。
「キミは魔王の息子だ。なんだってできる」
「あ、、・・」
テツトは吐息に近い声をあげた。
その時魔王の息子の本能が目を覚ました。彼の息がオレの首筋にかかる。
テツトの指先がオレの静脈に触れる。そうだ、そこだ。オレは目を閉じた。
やわらかい指先はすぐに硬い鋼(はがね)のような感触にとって代わり、そして今それはオレを突き刺した。
生暖かいものが首筋を這ってゆく。
「タミオ・・・」
テツトが囁く。
オレはそのまま甘美な迷宮の中に堕ちていった。

                     ☆

西の空には太陽がまだ居座っている。
西日は昼間の陽光よりどろっとした鈍さで湿気を加熱させ人々を茹だらせる。
「思ったよりしんどくないな」
タミオはベンチでつぶやいた。選手でもなくコーチでもなくトレーナーでもない人間がそこに居ることに誰も異を唱えるものはなかった。
監督は不在だ。「急病」なのだ。
コーチ陣はベンチの片隅で無表情のまま固まっている。生気のない顔。
「ハクシャクがやってしまったの?」
そう言ったのはタカヤだ。
「いや、催眠をかけてるだけだ」
テツトが答える。
「朝、陽が昇ると人間は高揚するだろ。さぁこれから一日が始まると。オレたちは沈んでいこうとする太陽に同じように希望を見出すんだ」
テツトがタミオに説明する。
そうか、だからそんなに怖くはなかったのか。そして文字通り希望の始まりだな。
そうテツトに言うと、「昼よりも夜に生きること、そうだ、それから始まったんだ」とくすっと笑った。
確かにあのときあの夜そう呟いた。なにもかもすべてはそれが始まりだったのだ。
「ははははは」
テツトは笑った。
「ははははははは」大きな声で。
タミオも他の仲間も思わず彼のほうに振り返る。
その彼よりももっと後ろで赤い目がきらっと光った。こんな場所には似合わないものがベンチの屋根からぶらさがっている。
それは小さな蝙蝠。
誰が知っているだろうか、誰が想像できるだろうかそれが今ここで唯一絶対の権力を持つものだということを。

               つづく





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